瀬田玉川神社
瀬田玉川神社は17世紀頃に御嶽神社として遷宮され、明治末期に玉川神社と改称。長らく瀬田・二子玉川地区の氏神として地元の人々に崇められてきました。国分寺崖線の高台にあって、坂を下れば二子玉川な住宅地の一角、急な石段を登ると落ち着いた雰囲気の境内。本殿・社務所は60年ほど前に建て替えられたものですが、映画とかで出てくる地元の神社感があって落ち着ける空間です。御朱印集めをされている方はこちらの御朱印もユニークです。
境内社として稲荷神社が本殿の脇にあります。新しめのきれいな赤い鳥居をよく見ると奉納者として意外?な有名人のお名前をみることができますのでチェックしてみてください。
境外社としては、ここから北へ5分ほどのところ、ちょうど次に紹介する静嘉堂文庫や瀬田四丁目旧小坂緑地へ行く途中には、瘡守(かさもり)稲荷神社という住宅街のちいさな公園の一角になっているお稲荷様があります。瘡とは皮膚の病気ことで、当時、流行り病だった天然痘などの平癒祈願としてここだけでなく各地にも同じ名前のお稲荷様が存在するようです。こちらの地域的な特徴としては、戦前ぐらいまでの二子玉川は川遊びや多摩川の向こうに丹沢山系や富士山を眺められる景観地として瀬田玉川神社の近くに玉川遊園という名で立派な料亭とかもありました。また、多摩川を越えた二子新地には二子橋も架かって往来しやすくなったこともあり、昭和初期には二子の有力者だった人(岡本かの子の父なので岡本太郎の祖父)が誘致して、関東大震災で壊滅的被害を受けた吉原で置屋をやっていた人が芸姑さんなどを引き連れて遊郭ができたりしましたので、そちらの伝染病の平癒祈願にも祈られていたかもしれません。
10月の第三日曜には瀬田玉川神社例大祭が行われ、神楽殿奉納演芸で瀬田囃子を始め、フラダンスなども披露され、屋台もたくさん並びます。神輿も瀬田・二子玉川にそれぞれ繰り出されるようです。世田谷や瀬田の名前からもわかりますが、昔は田や畑が広がるところでしたので、収穫を祝って自然に感謝するお祭りだったのでしょう。
詳しくは、瀬田玉川神社 Web https://www.tamagawajinja.jp/index.html