Each Person's Sense 展について
2023年初夏に京都に寄った時、江戸時代のゆるキャラ絵師・中村芳中など琳派の扇子展を細見美術館でやっていたので見に行った。
帰りの新幹線で考えていたら、扇子型というものは丸でもない方形でもない形状で絵を当てはめるにしてもレイアウトとか慣れてないとハマらない。
そこからELLIPSEで店番をしつつ、扇子の歴史や形状について色々と調べていくうちに扇子=Senseというダジャレが浮かんできた。あ、大喜利って扇利ってダジャレると、扇子を利用してって感じよね…とか。それとは別に、扇子型を丸めてつなぎ合わせれば円錐台で円錐を底面と平行に切った形だし、円錐を斜めに切ったら切り口は楕円(ELLIPSE)だよねとか…。アホみたいな連想が進んでいきます。
日本的なというか東洋的な精神面に連想が拡がると、大喜利と禅の公案問答って似たようなもんよねと畏れ多いことを思いつき、そこからアートと禅の類似性を考えるようになったりすると収集がつかなくなる。そこで珈琲でも飲みつつ店内を眺めていたら、かつては「キスノ自転車商会」という名で自転車屋だったこの建物も築50年となり、私も住み始めて20年になる記念の年でもあることに気づき、なにかと深いご縁のあるアーティストさんにアート大喜利してもらったら面白いかもなと、アーティストにしたらとても面倒なことを思いついた。
いま社会を眺めると、インターネットが世界を繋ぎ、手元にあるスマホで世界中のありとあらゆる情報にアクセスできることもあってか、「考察」より「選択」が重要な時代になっている。そのせいもあってか、本などのタイトルも中身が一目瞭然となるようなものが増え、ドラマも説明台詞で流れを補填し、あとは伏線と回収というわかりやすいギミックで構成されるものが多くなってるそうな。そんなトレンドな世の中であるゆえに、世のリアルを表現するアートもそちらになっていくのも自然の流れではあるし、作家の心を表現する作品としてはもっともなことでもある。でもそんなのばかりになるとあんまし面白くないよねと。
また、人間というものはすぐに答えを知りたくなるもので、納得にせよ諦めにせよものごとを受け入れるにはどうしても腑に落としたい。とはいえ不可知なものは存在する。そこで辻褄をあわせるものが、超越したナニかとか宗教とか陰謀だったりHateだったりするのであろう。そこが人間の弱さであってそのあたりを克服できれば本当の意味で己を信じれる自信に繋がるのであろう。禅的な考え方でも「心の中に仏さまはいる」という表現もそのようなところからきているのかもしれない。そういう「自分の心の中の仏さま」を知るってのを悟りと考えるのであれば、公案問答の修行みたく答えのないもの考えていくことしかないのかもしれませんし、その行為自体が悟りでもあるのかもしれません。作家が作品を作るのもまさしく同じであり、アートなのではないのかなと扇子=Senseのダジャレから始まった妄想が企画となりました。
昨年末ぐらいに各氏にDMやら電話で連絡をとって、大喜利するんで作品よろしく〜と伝えると、みなさん長年こんな私と付き合ってくださっているだけあって人間が出来ている。
・扇子型をお題に好きなように解釈してなんでもいいので作品作って下さい
・期間は2024/5/15-31の上弦の月から下弦の月まで
という、超アバウトな要項であるにもかかわらず二つ返事で快く受け入れてくれました。
あとは、公案問答と同じく、こちらもどういう答えが出てくるかわからないが、対応するしかない。そのあたりは阿吽の呼吸でなんとかなると信じていた。
そういう思いが調和したものが今回の展示会となります。
アーティスト自身の”今”に「扇子型」というテーマと私やこの空間との関係性が重なった和声になって、ELLIPSEならではの企画になりました。
観にこられた方もまたSenseによって解釈の違いも出てくるでしょうし、アートの探求のひとつのお題になる展示会になっていると思います。
Each Person's Sense
当初は私も扇子ネタで作品を作ろうかなと思いましたが、この「企画」を作品とすることにしました。
なかなかよい作品になったと自画自賛しております。